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昭和44年3月28日夕御理解(鶯や屋敷うちなる竹林)
今日福岡の教会で典楽会の方達が北九州のほとんどの楽人さん方が集まって,吉備楽をあらたま教会のお広前いっぱいだったというんですから沢山でしたでしょう。
ここからも3人田中さんと豊美と和美さんとおかげを頂きました。
宮の原のほうからもだしまして、田中さんが音頭をだして、久留米の舞いの中でもこれはもう九州のもの、それも久留米のものと見なされている舞の中で「だいなんこう」「しょうなんこう」「かんこう」こういう歴史舞いは本部にも残ってない、だから本部からわざわざ写真班がきて、映画に納めたといいます、実に見事だったそうですね。それが舞人がいないわけですよ。衣装は久留米の初代の時分にますみ先生の時代にそれこそ金に飽(あ)かして つくってあるものですから大変見事なものだった。
私聞かせていただきながら久留米の意というかこれだけは久留米の物というのが残っているということは、ありがたい。
そこで私ここでは「梅鉢」を神様からいただいていますし、私のことを天神様というて表現してことすらございましたんですから「かんこう」だけは合楽のものにしたいなと思ったんです。「かんこう」というのは「すがる」みたいな、これも大変よい舞い歴史舞いそれは、やはり、衣装だけでも百万近くかかるんじゃないかと思うんですね、二人舞い百万ではいけんかもしれませんね今、けども、記念祭までにはひとつ「かんこう」だけでも合楽のものに、久留米の初代の信心が少しでも継承される、舞いなら舞いの上からでも継承されて合楽にいつまでも残るというように「かんこう」だけぐらいはと思っておったからでしょうね。
頂きますことは「梅鉢の紋」をいくつも頂くんです、そして今楽人さん達が、若い樂人が育っています。愛子と康子、月次祭ぐらいなら若手だけでも出来りゃせんか、と思うくらいに上達して。そういう樂の稽古の調べを聞かせてもらいながらのご祈念ですから、ここに座らして頂いたら文鎮があるんです。
その文鎮にいただくのが、先月、羽田野さんが「句会で特賞に入選いたしました。」とここに書いて置いてあったんです。それを頂くんです。これがこういうような句なんです「鶯や屋敷うちなる竹林」
「鶯」というのは樂人のことだと思います。まあ、声を競うというですかね、鶯のような声。「屋敷うちなる」というのはお広前のなかに、例えば上が減れば下が育っていきよるということですよね、次々と。
「竹林」というのは、竹という字も同じでしょう、林という字も木が二つで同じでしょうこれは愛子と康子のことでもあろう、または田中さんとこの姉妹、兄弟のことでもあろうかと思った。まあ、今晩の御理解になるかならんか知らんけれど、そういう何とも云えん雰囲気とゆうかリズムといおうか、おかげのリズムですよね。
私が「かんこう」だけはと思うと神様も確かに思うておられるのではなかろうか、思いに繋がっているということです
それで、たとえば強いて御理解と頂くならば「鶯や屋敷うちなる竹林」これはこの人一代というものではない、それを継承してそしてまた受けてゆく、次の二代の人達がつぎつぎと出来てゆく、これはやはり、お徳だと思う、ねえ、このへんの処を「ありがたいなあ、合楽にはこういうような働きがあっておる、口にさして頂きながら感じました。
どうぞ。
ひろさき 入力